誰しも、人生を振り返ることがある。
たった20数年しか生きていない自分でも、
ああ、今日はもっとうまい飯食えばよかったな~とか、早起きしたかったな~とか
そんな風に振り返りながら生きている。
そしてきっと、その思いは時間が経つにつれて深くなっていく。
あの時部活で、あの時進路で、あの時就職で、あの時両親と、、、、きっと、そんな風に。
そしてきっと、誰もが最後に振り返るんだと思う。
「私の人生は、良い人生だったろうか?」、と。
もしその時、私の人生が、私ではない何かの人生で満ち満ちていたとしたら、どうだろうか?
「自分のやりたいことを、やってみたい。」
多分誰もが、こう思うだろう。
でもそれはきっと、とても残酷な気付きになるのかもしれない。
だってその時の私たちは、彼らにその答えを求めてしまうだろうから....
「私がやりたいことをやるためには、まず何を準備すればいいの?」
多分これほど面白くて、残酷で、滑稽な質問はないかもしれない。
すべてを取り戻すほどの時間は残されておらず、やりたいことをやるために必要な"本当は必要のない手段"を探してしまう、
そして手段であったはずの彼らの意思がいつしか自分の意志を埋め尽くしていく。
血も涙も、語り継ぐべき後悔もない。
けれど、緩やかに、平和に、少しづつ私たちの何かが奪われていく。
カップ麺を食べる翻訳家と、翻訳AIを使いこなすラーメン屋の店主。
この2人は人生を最大限楽しむために、余すことなく文明の利器を使いこなしている。
でもカップ麺をカウンターに並べ続けるラーメン屋の店主と、翻訳AIにしがみつく翻訳家が普遍的なものになっていたとしたら、
それはきっと、私たちが想起した人間と機械文明との、1つ戦争の結末と言えるのかもしれない。
まぁ、そんな、SFにしたら最も迫力に欠けるだろう展開を、中二病に浸って描いてみるのも、案外悪くはないかもしれない。