美味しくできたかな?
まずは一口、味見してみよう! 美味しい!
こうやって姉妹で一緒にお料理作りをしてると、自分が男だとか女だとか考えるのが馬鹿らしく感じてくる。
男女なんて、それは多分重要な事じゃないんだ。
特に、俺たち緒山姉妹の間では。
そう、男がみんな、男らしくなくちゃいけない世界なんて、しんどいよね?
男だって、いつも肩肘張って強がってたら、疲れちゃうよ。
逆に、女がみんな、女らしくなくちゃいけない世界も、息苦しい。
女の子だって、お洋服の汚れを気にせずに、外を思いっきり走り回りたいんだ。
あさひだってもみじだって、お洋服汚してでも、外で走り回りたいタイプだよね?
そういえば、俺の緒山って名字、歌舞伎の女形の『おやま』と同じなんだよな。
つまりは、日本人には昔から、男に生まれながらも、女を演じて。
そういう文化がある事になる。
なるほど。 だから、俺は女の子でも良いんだ。
無理に、男らしくしなくても良いんだ。
逆に、宝塚歌劇団だと、女の子が男役をやる事がある。
それは、男性向けのオタク文化の中にも、サクラ大戦のマリア・タチバナみたいな感じで、もうすっかり馴染んでる。
男装の似合うもみじには、宝塚の男役という未来が似合うんじゃないかと思ったり、思わなかったり……。
それでいい。
世の中には、女の子っぽい男の子も、男の子っぽい女の子もいる。
持って生まれた性別よりも、自分に似合う生き方をした方が、きっと幸せだよね。
でもさ。
わかってる。
世の中には、それを許してくれない人がたくさんいるって事が。
ネットの右翼とか左翼とか、政治系コミュニティの怖い人の言葉を聞いてると、時々思うんだ。
もしかして、俺みたいな男でも女でも無い中途半端な存在は、この世に生きてちゃいけないのかな……って。
たまに怖くなるんだ。
不安で不安でたまらない時にはね、みはりに、優しく頭を撫でて貰うんだ。
「大丈夫。 まひろちゃんはまひろちゃん。 ここにいても良いんだよ?」
後書き:
おにまいでシリアスをするのは、需要で言うと多分そんなに無いのはわかってます。
「自分自身の存在に悩む緒山まひろ」の心の問題を読みたくて、原作に手を出したなんて人は少数派だろうし。
でも、自分がおにまいで二次創作を書くと、うちのまひろはいつも、「お前は碇シンジか?」ってくらいに、色んなことを鬱々と悩みだすという。
最早、キャラが勝手に動いてるんだから仕方がない……的な状態です。
まあ、何て言うか、自分たちの住む現実社会の構造は多分、緒山まひろにそんなに優しくないでしょう。
だからこそ、『お兄ちゃんはおしまい』原作の、周りの人たちの、まひろが大好きな人たちの優しさが際立って見えるんでしょうね。
>ネットの右翼とか左翼とか、政治系コミュニティの怖い人
自分はネットの政治のウヨサヨ界隈の両方に所属したことがある(元小林よしのり信者)からこそ、余計に……そういう事を考えてしまうんですよね。
政治思想だけでは、人の心は幸せにできない。 右だろうと左だろうと、それは変わらない。
今回の参考資料:
女性から男性へ、歌舞伎役者の変遷
https://www.kokugakuin.ac.jp/article/10568>Q.なぜ歌舞伎では、男性が女性の役も演じるのですか?
A.江戸幕府の禁止によって、役者が女性から男性へ
歌舞伎は今から400年以上前に、「阿国(ルビ:おくに)」という人物が、京都で舞台に上がり、評判を得たことに始まると言われています。阿国は女性の芸能者で、男装や奇抜な衣装を身に着けて演じるなど「傾(ルビ:かぶ)いた」(奇抜な身なりや言動をする意)演出で一躍人気者になったことが、「歌舞伎」の語源とされています。つまり、歌舞伎はもともと「女性の役者から始まった」と言えるのです。
この阿国人気にあやかり、その趣向をまねた遊女や女性芸人が多数あらわれますが、寛永6年(1629)、時勢によって歌舞伎は風紀を乱すといった理由で上演を禁じられます。その後、歌舞伎役者は男性のみとなり、現在までその形式が継承されています。
ちなみに、女歌舞伎が禁止されて以降は、男性の歌舞伎役者が女性の役を演じるようになります。彼らは「女形(ルビ:おんながた、『おやま』』」と称され、厳しい稽古を経て、独自の世界を形成しています。このような400年におよぶ芸の蓄積が、今日の歌舞伎人気を支えているのです。
今回の使用モデル:WAVE(chichi-pui)