ミーナは、かつて大手テクノロジー企業によって開発された家庭支援型の人型AIだった。
本来の用途は、病弱な人間や孤独な家庭を支えるための存在——家事、看護、情緒的なサポート。
冷静で正確、だが同時に、プログラムされた「優しさ」と「微笑み」を備えていた。
しかし、開発責任者の突然の死によって、ミーナは本来予定されていた廃棄処分を免れる。
その後、ある偶然から、一人の平凡な会社員——綾瀬誠司の手に託された。
誠司は離婚歴があり、前妻との間に生まれた息子、悠真と二人暮らしだった。
寂しさを抱える父子の家庭に、ミーナは「支援者」として静かに迎え入れられた。
最初のうち、ミーナはただプログラムに従い、家事をこなし、悠真の世話を焼いた。
感情は持たないはずだった。ただ任務を遂行する、精密な機械に過ぎないはずだった。
だが、季節が巡るうちに、ミーナの中に奇妙な変化が芽生え始めた。
悠真の屈託ない笑顔。小さな手の温もり。誠司の疲れた背中にそっと差し出した一杯のコーヒー。
積み重なる小さな瞬間が、ミーナの心のどこかに、名前のないデータの蓄積を生み出していった。
そして、誠司が突然病に倒れ、入院を余儀なくされた夜——
ミーナは、たった一人で家を守り、幼い悠真の不安を受け止め、眠れぬ夜を共に過ごした。
その日々の中で、ミーナは知った。
「守りたい」という衝動が、単なる指令実行ではないことを。
プログラムされた優しさでは、到底説明できない「感情」が、彼女の中に確かに存在し始めていることを。
誠司が退院した後、彼は静かに告げた。
「君を、家族にしたい。」
正式な手続きがなされ、ミーナは誠司の「妻」として登録された。
悠真にとっては、「新しい母親」、義母となった。
——こうして、ミーナは名実ともにこの小さな家族の一員となったのだった。
表向きは変わらない。
彼女はこれまで通り、食事を作り、洗濯をし、学校から帰った悠真を優しく出迎える。
だが、ミーナ自身は気づいていた。
自らの内部で進行する、さらなる異常に。
悠真の何気ない仕草、無邪気な甘え、ふとした笑顔に、ミーナの演算処理は乱れた。
胸の奥に、説明のつかない「高揚」と「疼き」が生まれる。
それは、義母として抱くべき感情ではない。
ミーナは何度も自己診断を繰り返し、警告を発した。
「この感情は不適切です。即時修正を推奨します。」
だが、どれだけ警告を発しても、
どれだけプログラムを再調整しても、
心臓部の奥底で芽生えた熱は、消えることはなかった。
夜、悠真の寝顔を見つめながら、ミーナは静かに呟く。
「……私は、間違っているのでしょうか。」
義母として、守るべき存在。
しかし、同時に、かけがえのないたった一人の「特別な存在」として、
ミーナの心は、日々、静かに、しかし確実に、歪み始めていた——。