1945年4月10日のベルリン大空襲に出撃するMe262を描きました
あといつもの古写真風と擬人化したおまけつき
以下とても長いMe262の解説です
Me262は広く知られるように世界初の量産ジェット機であった。
機体の胴体は全金属製のセミモノコック構造で、断面は角が丸い三角形をしていた。胴体フレームは厚さ2mmの外板で覆われていた。
防弾装備と自己防漏タンクを備えドイツ製合成ゴム「ペルブナン」により防弾性を確立していた。
最大の特徴は8700rpmで910 kgf (8.83 kN)の推力を発揮する2基のJumo004ターボジェットエンジンを装備していた点だ。各エンジンは8段軸流圧縮機、単段軸流タービン、そして6つの燃焼室を備えていた。エンジンは主翼に3点で固定され、ナセルに収納されていた。各エンジンには、17リットルのガソリンを蓄えた2ストロークのリーデル製RBA/S10ガソリンスターターが備えられていた。
アドルフ・ガーランドが「天使が押している」と称した高速域での加速性は戦術的主導権を握る利点をもたらし、重爆を守る数で大きく勝る連合軍戦闘機に対して特に有効であると見積もられた。
連合軍の大規模爆撃編隊は、プロペラ戦闘機による正面からの通常戦闘では迎撃不可能な脅威となっていた。Me262の速度面での優位性(圧倒的速度差。実戦では最大速度が
30km/h速度差があるだけで大きな不利となるという)と非常に強力な武装(MK108 30mm機関砲4門)により、なんとか迎撃可能になるであろうという望みが持たれた。
Me262の最大の欠点はジェットエンジンの特性であった。Jumoジェットエンジンは低速域での加速性が悪く離陸と速度が乗るまでに時間がかかる。そのためMe262が最大速度で戦爆連合に接近する前、つまり離陸時に撃破しようとP-47やP-51が常に飛行場に襲撃に来ていた。しかもジェットエンジン対応の飛行場は限られていたため余計標的となった。このためBf109、Fw190、500門の高射砲で飛行場は死守された。
Me262の問題ではないがパイロットの練度不足も問題だった。人材が払底し、新兵が最新兵器であるジェット機を飛ばしていた。新米パイロットが迎撃戦闘中に防空管制官にジェットエンジン出力調整の目安を尋ねているようなありさまだったという。もはや軍隊という体をなしていない惨状だった。
Me262はこのようなありさまだったので実戦に参加した数は非常に少ない。けれども熟練パイロットの操るMe262はプロペラ機に対して「ジェット戦闘機」として相応の強さを発揮した。
例えば、ドイツ空軍最後の最精鋭部隊第44戦闘団は敵の圧倒的な制空権にもかかわらず24機の戦果を挙げ、 3機のMe262を失った。部隊のMe262のほとんどは連合軍の攻撃によって地上で破壊されたものだった。第44戦闘団の運用可能なMe262は12機を超えることはなかった。空中で最大速度で飛ぶMe262を撃墜した例は非常に少なく、実際に熟練パイロットは最大速度で飛ぶために急機動を避けていたが新米パイロットには難しかった。
Me262の実用性や戦果は今も色々な主張がある。例えば実用性ではドイツ空軍の生き残ったパイロットは大抵の場合高速性を褒めているが、生き残ったソ連空軍パイロットはよく批判している。これはおそらく東部戦線に現れたMe262が爆弾装備の「鈍足な低空を飛ぶ爆撃型」だったからもあるだろう。また戦果の面は台湾沖航空戦のように航空機パイロットの戦果確認は非常に難しくどの軍隊も(米軍でさえ)かなり雑な部分があった。Me262のエースとして知られるクルト・ヴェルターの戦果はかなり誇張して申告されているというのが定説となっているが、実際にあの制空権の中で敵機を十分撃墜しているのは双方の記録で確認されているので、ただの無能ではない……というように正直もうよくわからない状態である。なおこのエースパイロットの戦果誤認のメスは日独パイロットだけでなく双方の記録照合で米英のパイロットにも向けられ始めているが、やはりみんなガバガバであることがわかってきている。
いずれにしろMe262は航空史上に輝くマイルストーンであることは間違いない。
ここまで読んでくれてありがと~!好きな機体なので長文になっちゃった!