――暗い路地を、俺はふらつく足取りで進んでいた。
街のネオンは滲み、世界そのものが血に染まったように赤く見える。心臓は今にも破裂しそうで、呼吸は喉を焼くように苦しかった。
そんな時だった。
「……見つけた」
その声は甘く響き、俺の足を止めた。
振り返った瞬間、視界に飛び込んできたのは異形の女――アレクシア・ルシフェル。
漆黒の装甲が第二の肌のように張り付き、胸元には紅いコアが脈動していた。
ピンク色の髪が光を浴びて輝き、瞳は蛍光の紅でこちらを射抜いている。
彼女は笑っていた。夜の女王のように、美しくも恐ろしく。
出会い
「息が荒いわね。追われているの?」
ルシフェルは静かに近づいてくる。
その歩みは人間のそれと同じはずなのに、背筋に氷のような恐怖を走らせる。
「な、何者だ……」
俺の問いに、彼女は首を傾げ、艶やかに笑った。
「私はアレクシア・ルシフェル。君を迎えに来た者」
「迎えに……?」
「ええ。人間のままでは、君はここで死ぬ。だが、私の手を取れば――新しい自分に生まれ変われる」
勧誘
ルシフェルはゆっくりと手を差し伸べた。
その指先は鋼でありながら、光沢の下に温もりを感じさせる。
「人間は弱い。裏切られ、傷つき、やがて朽ちるだけ。君もそれを知っているでしょう?」
彼女の声は甘美で、耳から脳髄に直接染み込むようだった。
仲間の死、敗北、絶望――思い出したくもない過去が心を締め付ける。
「でも、アレクシアは違う。痛みを力に変え、死を超え、永遠を手に入れる。君の弱さも、苦しみも、すべて解放されるのよ」
俺は唾を飲み込んだ。
「……それが、本当に救いなのか?」
ルシフェルは微笑む。
「救いなんて生ぬるいものじゃない。これは“超越”。人間という檻からの解放よ」
選択の刻
「拒否したら……どうなる?」
俺の問いに、ルシフェルは肩をすくめた。
「そのまま朽ち果てるだけ。でもね……」
彼女はそっと俺の胸に指先を当てた。
紅い光が滲み、心臓が掴まれたように震える。
「君はもう限界よ。身体も心も。だったら、私に堕ちる方がずっと楽」
彼女の瞳が、俺を絡め取る。
抗う意思は次第に霧散し、ただ熱い衝動が残っていく。
変容
「決めたのね」
ルシフェルの声と同時に、背後の闇から機械のアームが伸びた。
鋭い先端が俺の皮膚を貫き、血の代わりに光が迸る。
「ぐっ……ああああああああっ!」
悲鳴はやがて笑いに変わる。
痛みが快楽に反転し、骨と筋肉が溶けるように金属と融合していく。
皮膚の下に走る光のライン、強化された四肢、そして胸の奥で輝くコア――俺は別の存在へと組み替えられていく。
「そう……そのまま受け入れて。苦しみはもう終わり。これからは快楽と力しか残らない」
ルシフェルの囁きが、甘い毒となって意識を侵食した。
目覚め
――気が付けば、俺は立っていた。
視界は驚くほど鮮明で、全ての音や匂いが流れ込んでくる。
拳を握ると、コンクリートが粉砕された。
「これが……俺の新しい体……」
ルシフェルは満足げに笑った。
「ええ。君の名は今日から“アレクシア・ネメシス”。」
その響きは胸の奥で反響し、かつての俺の名前を塗り潰した。
終章
ルシフェルは背を向け、闇の奥へと歩き出す。
「さあ、行きましょう。次の人間を迎える時間よ」
俺――アレクシア・ネメシスは、彼女の背に従った。
恐怖も迷いも、もはや存在しない。
あるのは力と、燃え盛る衝動だけ。
こうして俺は人間をやめた。
そして気付いた――これは救いではない。
――人類の終焉の始まりだ。