新京阪鉄道BL-1形→デキ2000形→阪急電鉄4300形:
新京阪鉄道が北大阪電気鉄道から鉄道事業を譲り受けた直後、新線建設用として無蓋貨車とともに建造した電気機関車。
製造メーカーは電装品が東洋電機、車体は汽車製造による。台車は日本では珍しいブリル50E2である。軸配置はB-B。
電動貨車然としているが内部は機器室で、いわばアメリカのインターアーバンで見られた「ボックス・キャブ」という形態の機関車である。
最初はBL-1形1~3号と称したが、その後の形式称号改正によって1929年にはデキ2000形2001~2003号と改番。
最初はシングルポール集電だったが、ほどなくパンタグラフに交換された。パンタは車体の高さが低いためトラス構造のやぐらの上に載っている。
3両で運用されたが、実際には2両で事足りたようで、1955年には2003号が除籍、残る2001・2002号は神戸線に2000系(
illust/47531990)が登場したことから1960年に3000形に改番、
しかしその4年後には3000系(
illust/48346814)が登場し、
また事業用車両は4000番台とする方針が決まったため4300形4301・4302号となった。
1975年に車籍は抹消されるが、正雀工場の機械扱いとして長らく入替用に使われた。
特に4301号は、6300系(
illust/47528880)などと同様の「H」マークを車体側面につけて晩年を過ごしていたが、
1986年には解体となり、ここに阪急唯一の電気機関車は線路の上から姿を消した。
いっぽう、1955年に廃車された2003号は長らく正雀工場で物置代わりに使われていたが、
その後車体の半分をカットされて宝塚ファミリーランドを経て、現在は正雀工場で保管されている。