愛知電気鉄道電7形・附3形→名古屋鉄道モ3200形→ク2300(Ⅱ)・2320形:
愛知電鉄豊橋線(現・名鉄名古屋本線)の東岡崎~小坂井間開通に際し1926年登場。
愛知電鉄としては初の半鋼製電車で、デハ3080~3084・3086~3089号およびクハ2020号の10両誕生した。
末尾「5」にあたるデハ3085号は欠番となっているが、これは当時、末尾5は忌み番とされていたため。
のちに「大ドス」ことデハ3300形(
illust/56326965)が登場するが、基本的には同一の性能であるため
混結しての運用も行われ、豊橋線全通後も使われ続けた。
名鉄成立後の形式はモ3200形(3201~3209号)およびク2020形(2021号)だが、1948年にク2021号は電装されたためモ3210号となり、
結果形式としては「モ3200形」に統一が図られた。
しかし1950年代以降は旧型の木造車の安全性、ことに桜木町事故以後は火災に対する脆弱性が指摘されるようになる。
このためHL系木造車の更新名義で3700系Ⅱが新造されることとなるのだが、木造車の更新だけでは3700系の予定製造数に対して機器類が不足した。
このためモ3203・3207・3209号を1959年に電装解除しク2300形Ⅱの2301~2303号とした。
この3両は片運転台化と同時に運転室の全室化などを行うなど、かなり手が入れられている。
残る7両も1964年に台車と電装品を外して制御車となるが、こちらは車体の改造を最小限にとどめたため
仕様が全く異なった。よってク2320形2321~2327号という別の形式として竣工することになる。
この時取り外した機器類は3730系に転用されている。
その後も本線系で3300系やモ910形(←知多鉄道デハ910形)などといったHL系釣り掛け車と混結されつつ運用されていたが、
この当時いまだ木造車が残り、自動ドアすら装備していない旧型車ばかりだった瀬戸線の近代化が急務となったため、
その第一歩として小柄な車体を持つク2300・2320形と、先のモ910形の一部を電装解除したク2330形を
瀬戸線へと転属させることになった。
このうちク2330形はAL系主回路を装備してモ900形となったが、この連結相手としてク2300形の全車とク2321~2324号が選定された。
余った3両については、こちらもAL系制御器を搭載したモ700形(←旧名鉄デセホ700形。
illust/56393503)702~704号と
組み合わされ2両編成を組んだ。これにあたり、マスコンを従来のHL用からAL用に換装、さらに回路の使用電圧を600V用に降圧している。
1966年にはク2300形全車が、1968年にはク2322~2324号が瀬戸線特急用としてクロスシート化などの改造を実施、
戦前生まれの電車としては唯一ミュージックホーンの取り付け改造が行われ、
さらに1968年にはこの特急専用車についてはスカーレットに白帯という塗装に塗られていた。
1975年には瀬戸線特急が急行に格下げされる形で消滅、塗装もスカーレットの一色塗りに統一されるが、
「逆富士」の系統版はしばらくそのまま使われていた。
なお、瀬戸線在籍時代に車体の補強改造が行われており、これによりリベットはほとんどが埋め込まれて
登場当時に比べるとすっきりした外観となっている。特急仕様車はドアエンジンも取り付けた。
1978年には瀬戸線の架線電圧昇圧ならびに名古屋市内地下化に伴い、600V用に降圧改造されておりA-A基準を満たさないク2300・2320形は置き換えられ、
ク2300形の全車とク2321・2322・2324号は廃車となるが、
残るク2323・2325~2327号は揖斐線・谷汲線系統へと転属しモ700形やモ750形の増結用として使われることとなった。
このときにアルミサッシ化や全車自動ドア化、さらにヘッドライトのシールドビーム化など
近代化改造が施行されて揖斐線・谷汲線系統の近代化に貢献した。
1997年にVVVFインバータ制御の新型車モ780形(
illust/58567825)が登場すると余剰をきたし、
最後まで残った4両もここに全廃となった。この4両は登場から71年もの間働きづめであった。
全車解体され現存しない。