日本国有鉄道キハ181系:
正式な系列名は「181系」。
奥羽本線や中央西線などの勾配線区においてはキハ80系(
illust/67111671)では出力不足が目立った。
走行用エンジンを増やそうとすれば電源エンジンが足りずにサービスレベルが極端に低下してしまう。
さりとて電源付き車両を増やせば今度は走行用エンジンの数が足りなくなり均衡速度は高くとれなかった。
事実、奥中山越えにおいては走行エンジンを半数ほどカットした状態で走らざるを得ず、
キハ80系は勾配線区に向いている車両ではなかったのである。キハ80系のエンジンはDMH17Hというものだったが、
1基あたりの出力は180PSと非力なものであった。
そこで走行用エンジンの出力を1基あたり500PSとしたDML30HSAエンジンを搭載した高出力気動車が開発された。
これがキハ181系であり、1968年10月に実施された「ヨンサントオ」ダイヤ改正にて中央西線の特急「しなの」に投入されたのを皮切りに
山岳線区においてその存在感を示し始める。
ただ、冷却系については試作車キハ90系での問題点を十分にブラッシュアップできないままだったため、
初期はオーバーヒートに起因する故障が多発した。
とくにその技術面での問題が露呈したのが奥羽本線特急「つばさ」で、東北本線を120km/hで高速運転でき、
なおかつ板谷峠を単独で突破できる気動車としてキハ181系が開発されたといっても過言ではなかったのだが、
そもそもそのコンセプト自体が1968年当時の技術力の前では無謀そのものであり、
結局1971年からはEF71電気機関車を補機として連結する羽目になってしまった。
その後中央西線や奥羽本線などでは電化が進展して「しなの」「つばさ」の電車特急化が図られると、
伯備線・山陰本線系統や四国地区の特急用として使用されることになった。
この転属の際に高山本線への投入も検討されたが、キハ181系の育ての親ともいえた名古屋工場・名古屋第一機関区は
なぜかこの申し出を拒否してしまったのである。
結局、1987年のJR分立後はJR西日本とJR四国の2社に引き継がれる。
JR西日本所属車は「あさしお」「はまかぜ」「おき」「いそかぜ」「くにびき」などの山陰・伯備線系統の特急で、
JR四国所属車は「南風」「しおかぜ」「いしづち」「しまんと」「宇和海」「あしずり」などの特急で使用されたが、
JR四国では民営化後すぐに振り子式気動車の2000系を開発、1993年の臨時「うずしお」を最後にその運用を終えることになる。
いっぽうのJR西日本所属車は21世紀になっても特急「はまかぜ」で運用についていたが、
2010年にキハ189系が投入されたことで「はまかぜ」の速度向上が図られた。
結局同年を最後にキハ181系は定期運用がなくなり、2012年までに全廃となった。
もとJR四国のキハ181-1はトップナンバーということもあって、JR四国での廃車後キハ180-1とともに
JR東海に引き取られている。このうち先頭車のキハ181-1については「リニア・鉄道館」に保存展示されている。
また、もとJR西日本のキハ181-12については「津山まなびの鉄道館」に保存されている。
これらの保存車2両はともに国鉄特急色での展示となっている。
このほか、15両が海を渡りミャンマー国鉄に譲渡されている。