「『太乙よ、この者らに話していないのか?鬼卒道士の秘密を、生み出された真の理由を…』」
「『やめろ!言うな!彼女たちは何も…!』」
「…あのさぁ、うちは託児所じゃないんだけど…」
常春の地、桃源郷に店を構える『うさぎ漢方 極楽満月』の店主、給食着のような白衣を纏った神獣・白澤は、カウンターの上に広げた薬研やら乳鉢やらを磨きながら、悪態をつき顔をしかめる。その傍ら、ごっこ遊びに興じる座敷童子たちに付き合っているのは、卸の調剤を取りに来ていた桃太郎だ。独立して以降、金丹など一部の調合の難しい製薬を白澤から卸してもらっている。
「いいじゃないスか。ちょうどお客さんもいないんだし。それにこうしてると白澤様が仕事しかできないんで助かります」
「桃タロー君!」
白澤はカウンターに突っ伏して情けない声を上げる。こういうとき、いつもなら白澤は店を放って衆合地獄の花街に行こうとするのが常だ。それができないのは、突然押し掛けてきた座敷ツインズが、居座って遊びつつ合間合間にお茶やおやつを要求してくるからだった。
「スケコマシ、のどかわいた」
「スケコマシ、お茶飲みたい」
「おやつおやつ」
「…うちは保育園じゃないの!」
「お菓子をくれなきゃ」
「わかってるよね」
「ハロウィンはもう終わってるでしょ!?なんなんだよ今日は!ていうか保護者どこだよ出てこい!」
「あ、鬼灯さんなら長期出張らしいスよ。EU地獄で大規模な国際会議があって、その準備も含めて一ヶ月くらい向こうにいるらしいっす」
「怎?回事!(なんてこった)」
白澤は頭を抱える。つまり、メインで構ってくれる人不在でいつもの遊びも一通りやり尽くし、暇をもて余してやってきたというわけだ。だが、家の妖怪であり福の神である座敷童子を、頭ごなしに追い返すわけにはいかない。あの引っ越し騒ぎの二の舞は御免だ。
白澤はぶつくさ言いつつ、空になったガラスのポットを手に奥に下がる。たとえ不本意でも、白澤は鬼灯以外の客人を無下にあしらうことはない。少し経つと、白澤は湯と茶葉を手に戻ってきた。慣れた手つきで、茶盤と呼ばれる格子のある台に小さな茶壺と、茶を注ぎ分ける茶海、小さな茶漉しである茶漏、そして茶杯を並べる。子どもたちに出すぶんには、香りを楽しむための聞香杯は不要だろうと、茶壺と茶海に湯を入れ温めながら考える。茶壺に匙で掬って茶葉を入れ、静かに湯を落とすと、やわらかな水音と共に、甘い香りが立ちのぼった。
「いい匂い」
「これなあに」
「金萱烏龍茶。ミルクのような香りと評される、台湾阿里山で採れた最上級のものだよ。ほんとは女のコたちをおもてなしするためのお茶なのに…」
文句たらたらの白澤だが、淹れる手を止めることはなく、蓋をした茶壺にさらに湯をかけ温める。じっくりと蒸らしてから、茶海に移し、小ぶりな白磁の器に注ぎ分ければ、淡い金色が美しく、より一層甘く香りたつ。
「はいどうぞ」
幼子ふたりは、カウンターの椅子にちょこんと座る。器をしげしげと眺め、少し香りを楽しんでから、そっと一口。
「あ、味はさっぱりしてる」
「おいしい。烏龍茶じゃないみたい」
「烏龍茶といえば発酵による独特の癖がある印象だけど、これは飲みやすいんだ。あ、桃タロー君もお茶にしようか。向こうの棚に茶菓子が入ってるから、取ってくれる?」
用意していたのはかぼちゃ月餅だった。艶のある皮と、あしらわれた緑の種が美しい。桃源郷は常春だが、世は冬の足音近づく晩秋だ。季節感を忘れないためにも、白澤は日々季節のもの、旬のものに気を遣っている。一口かじれば、かぼちゃ餡の素朴な甘さと、松の実のコリコリした食感が楽しい。一子と二子は夢中で頬張っている。
「あれ、白澤様は食べないんスか?」
桃太郎に差し出された残った一個の月餅を、白澤はやんわりと押し戻す。
「いいのいいの。僕、甘いものは苦手だから。君たち、食べていいよ。半分こすればいい」
薬局店主はにこやかに、自分は湯呑みに注いだ薬茶に口をつける。その様子をじっと見て、一子がおもむろに口を開いた。
「スケコマシは、なんで鬼灯様が嫌いなの?」
和やかだった空気が少し張り詰める。上げかけた手を下ろして、白澤は眉間と口元を痙攣させていた。
「…なんで今、そういうこと聞くのかな?君」
「ふと思った。スケコマシ、わたしたちとかみんなに優しいのに、鬼灯様にだけ当たりが強い。なんでかなって」
「ああ、それなら前麒麟さんから聞いた…」
「きっかけは前聞いた。なんで今もそうなの」
言いかけた桃太郎を遮り、一子はじっと白澤を見る。白澤は知識の神であり、博愛の神獣だ。だが和漢親善試合と式典事件以来、二人の争いは数千年に渡って続いている。新入りふたりが不思議に思うのも無理はなかった。
「…気が合わないんだよ、単純に」
白澤は頬杖をついて湯呑みをいじりながら言う。
「思考回路自体は似てると思うんだよ。お互い東洋医学の研究に興味持ったり、裁判制度を勉強しに来たりしてるし。でもアイツは徹頭徹尾合理主義だろ?そこでそこまで言う?そこまでする?みたいに、いちいち癪に障るんだよ。だから極力顔は合わせない」
「でも本当に嫌いなら、避けたり無視したり出禁にしたりしない?」
「えぇ?それやったら、僕がアイツをいじめてるみたいじゃん。あくまでビジネス相手として線引きしてるだけだよ。アイツなんでか女のコにモテやがるけど、アイツ無視したら巡り巡って僕の印象が悪くなるじゃん」
「…結局女の子が目的なんだね」
「やっぱりスケコマシだね」
「悪かったなスケコマシで!ほら、もうそろそろ夕方だから帰んなさい」
「はぁい」
「ごちそうさまでした」
白澤は機嫌をつくろって座敷童子を送り出す。直後、桃太郎を振り切って衆合地獄の花街へ駆け出したのは言うまでもない。
「…案外普通の理由だったね」
「でもそこまで深刻ってわけでもなさそうだね」
「鬼灯様も退屈しないね」
無論あの神獣は知らない。鬼灯が人の子から鬼になったことを。その冷徹さに思わず「人でなし」と叫んだ相手こそ、かつて人だったこと。世界に一人いるかいないかレベルのそんな恨み深い存在を、知識の神は「いる」ことは恐らく知っている。だが、目の前のそれがそうだとまでは感知できないのだろう。一度恨みを買えばそれまでな恐ろしい鬼神相手に対等に喧嘩できる存在は、貴重で、ある意味いい刺激になると、二人は考えているようだった。
夕暮れの桃源郷を、小さな福の神たちはとことこ歩く。その手提げに入っているのは、帰り際にお土産にと渡された杏仁豆腐だ。中にはいろんな中華菓子のレシピも同封されていた。たぶんこれをやるから当分こっちには来てくれるな、という意味だろう。ならばそれを使って鬼灯様にごちそうしてあげよう、と二人は考える。時々押し掛けて悪戯するついでに新しい鬼灯様を喜ばせるアイデアを盗むのは良い案だ。
「あのスケコマシ、使える」
どこか遠くの花街で、くしゃみが盛大に響いたのを、二人は知るよしもない。