アニメ軸の喜多ちゃんの事考えていたらクソデカ感情が止まらなくなったので描いたマンガです
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自己を「何でも平均以上に出来るけど、特別な才能を持っていない」と評価する彼女が、12話ライブ後のようなセリフをぼっちに対して吐くとしたら、その内心にどういう想いがあったのか?
そもそも「何者かになりたい」(=特別な何かになりたい)という気持ちを抱いていた彼女にとって、山田リョウ(もしかしたら伊地知虹夏も)は「何者か」であったと容易に推察できる。少なくとも喜多ちゃんが憧れる何かを持っている人だと思っていたことだろう。そしてその山田に憧れ、そのようになりたいと思い結束バンドに入ったのだという事は想像できる(娘になりたかったとまで言っているし)。
だけどそうなると、「私は誰かを引きつけられる演奏は出来ない」というセリフは、「私は(山田やぼっちのように)誰かを引きつけられる演奏は出来ない」、つまり「特別な何かにはなれない」という諦めの感情が入ってしまうような気がして、それはちょっと違うなぁと思った。
結束バンドに入った後の喜多ちゃんは、そもそも最初は必死こいて練習しても全く上達が実感できず、逃げ出してしまう。その後ぼっちに練習を教わり徐々にギター技術を磨いていくものの、あくまでアニメ内のポジションとしては「まだ初心者」レベルの演奏技術であることが描かれている。(アニメ内の演奏そのものではぶっ飛んだ演奏技術の上達具合を達成しているとはいえ)
そして、ある程度上達が見られた8話のライブシーンで、普段聞いていたぼっちの演奏を遥かに凌ぐ演奏を目の当たりにして、衝撃を受ける。
果たしてこの時の喜多ちゃんの気持ちとは?どうだったのだろうか。「憧れ」なのか?「嫉妬」なのか?「驚き」なのか?いずれにせよぼっちの人を惹きつける演奏に心を大きく動かされたことは自明だろう。
その後ぼっちが「特別な人」であることを皆に知ってほしいという強い気持ちを抱き、文化祭への出演用紙を(勝手に)提出した喜多ちゃん。当初そのことを聞いて溶けてしまったぼっちが文化祭出演を決意したことと、その決意を後押ししてくれたことに感謝をしてもらったことを機に、恐らく喜多ちゃんの胸には「ぼっちがすごい事を絶対にみんなに伝えたい。その為に文化祭ライブを成功させるあらゆる努力をする」という決意が生まれたはずだ。
その為に、今まで追いかける存在だった山田に個人練を頼み込んで、恐らく余暇時間のほぼ全てを練習に注いで、、そんな日々をしていく中で気づいたのだ。
「ぼっちは凄い演奏技術を持っている人だ」という事、だけど「普段は人見知りで、中々一歩が踏み出せない人だ」という事、そして自分はそんなぼっちを輝かせるためならどんな努力も達成することが出来るのだという事。
つまり、「ぼっち(や山田や虹夏)と自分は違う」という事、「憧れていた特別な誰かではなく、特別な自分にならなることが出来るのかもしれない」という事、「そんな4人が集まって、何かを為すことが出来るかもしれない(星座になれるかもしれない)」という事、そんなところに気づいたからこそ、12話ライブ後で「私は誰かを引きつけられる演奏は出来ない」けど「みんなと合わせるのは得意みたいだから」と、素直にぼっちに伝えることが出来たのではないか?と思うわけなんですけどどうでしょう?????
あの12話のライブ中の晴れやかかつ魅力的でどちゃくそ可愛くエモい表情は、そういった感情面からも出てきたんじゃないか?????????そう考えているんですがいかがでしょうか????????????考えすぎているのか????????????????????勝手にこじらせているだけか????????????????????????作者の人そこまで考えていないですか????????????????????????????
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という事を伝えたくてつらつらと漫画を描いたのですが、いま読み返してみると本当に伝わんのかこれ?10話のあたりの描写まるっと抜けてない?マンガになってて「安西先生…マンガが上手くなりたいです…!!」と思ったわけ。マンガって難し~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
でも描いてる内に喜多ちゃんさらに好きになった~~~~~~~~~~~~~~~~~~ありがとうぼっちざろっく!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
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